形成外科およびマイクロサージャリーと喫煙
形成外科およびマイクロサージャリーと喫煙
CIGARETTE SMOKING, PLASTIC SURGERY, AND MICROSURGERY
Chang LD, Bunke G, Slezak S and Bunke HJ
J Reconstr Microsurg 12(7):467-474,1996
【要旨】
喫煙が虚血性心疾患、慢性閉塞性肺疾患、末梢血管疾患、脳卒中、肺ガンなどの喫煙関連ガンをおこすことはよく知られている。 いっぽう喫煙が創傷治癒をはばみ、治療成績をわるくすることはおおくの外科医が認識している。 これは形成外科のいくつかの分野における多数の臨床経験によってうらづけられている。 喫煙によって悪影響をうける手術手技にはシワ取り術、腹壁形成術、乳房再建術、遊離組織片移植、指再接着などがふくまれる。 本論文では、これまでの研究をまとめ最新の臨床データを紹介し、特定の治療手技がほかの治療手技よりも喫煙の影響をうけやすい理由を考察する。
【タバコ煙】
タバコの煙はガス状物質と粒子状物質からなるとても複雑な混合物で、すくなくとも3800種類の物質をふくむ。 心臓や血管をおかすタバコ煙中の有害物質はニコチン、一酸化炭素、酸化窒素、シアン化水素などである。 これらの有害成分は、皮膚の微小血管、血液成分、血管収縮作用を持つプロスタグランジンに作用して血栓を作り血管を詰まらせやすい状態を作り出す。 ニコチンはタバコ煙のガス相にふくまれる代表的な血管作動因子で、動脈硬化巣をつくる作用と血管内皮をきずつける作用を持つ色も臭いもない有毒アルカロイドである。 ニコチンは直接あるいはカテコールアミン分泌を介して間接的に毛細血管を収縮させて血流をへらす。 ニコチンは血圧と心拍数を上げて酸素消費量をふやし、組織をさらに低酸素状態にする。また血管内皮の透過性を高め、赤血球数、フィブリノーゲン濃度、血小板粘着性を増す。 ニコチンは強力な血管収縮性プロスタグランジンであるトロンボキサンA2の作用を刺激する。 さらにプロスタサイクリンの産生と放出を阻害する。 ニコチンは血管中膜の線維化と石灰化にも関与しているようだ。 一酸化炭素はタバコ煙の4%を占め、肺毛細血管でヘモグロビンと結合して一酸化炭素ヘモグロビン(COHGB)という安定な化合物となる。 COHGBは酸素ヘモグロビン飽和曲線を左に移動させて組織を低酸素化する。一酸化炭素は酸素の250倍も強くヘモグロビンに結合する。 COHGBは血液の酸素運搬能力をへらすだけでなく、のこりのヘモグロビンの酸素親和性を高めるため、組織の酸素欠乏状態がいっそうひどくなる。 細胞呼吸に利用されるはずの血中酸素はこのような理由でじゅうぶん利用されなくなる。一酸化炭素の悪影響は低酸素状態をもたらすという点につきる。 この低酸素状態がフィブリノーゲンをふやし、赤血球を凝集させ、赤血球産生を増加させ、血液粘度をたかめる。 さらにCOHGBは血管内皮の透過性、低酸素、血小板粘着性を高める。 血液中のCOHGB量は喫煙の強度を反映する。非喫煙者のCOHGB量は0.5%である。 喫煙者にたいする形成外科的治療の成績が非喫煙者より劣ることをおおくの臨床医が報告している。 そのなかには一例報告的なものもあるが、豊富な臨床経験にもとづくしっかりしたデータもある。 シワ取り術、皮膚の老化、乳房再建術、腹壁形成術、遊離移植片、指再接着にたいする喫煙の影響を検討し、この問題の臨床的観点を明らかにしたい。また創傷治癒と喫煙にかんする実験研究にもふれる。
【シワ取り手術と喫煙】
シワ取り手術の場合、喫煙が耳介後部皮弁壊死を起こす危険因子であることがおおくの臨床調査で明らかになった。 シワ取り術にともなう創傷は皮弁の下を広くはがしてできるため、喫煙の悪影響の検討に適した創傷モデルである。 ランダム皮弁末梢への血流は皮膚-皮下間血管叢経由で供給される。皮下を広くはがすと血の流れが減る。喫煙は組織の低酸素とともに血管の収縮という追い打ちをかける。 シワ取り術後の血流低下により皮弁の色が悪くなり、傷の治りもわるいという目に見える変化が生ずる。 1984年にReesは喫煙者はシワ取り術後に皮膚の痂皮(かさぶた)ができやすいことを最初に報告した。対象とした1186例での痂皮発生率は10.2%だった。 この患者群の80%は手術時点で1日1箱以上の喫煙者だった。痂皮発生率は喫煙者で7.5%、非喫煙者で2.7%だった。 シワ取り術患者では、喫煙が皮膚微小血管の非可逆的閉塞および痂皮形成を激増させる(痂皮発生率:非喫煙者5%、喫煙者19.4%)。 喫煙者と禁煙者の皮膚微小血管には高度の閉塞が見られた(Riefkohlら。 Websterらは132名の喫煙患者のいずれにもシワ取り術後の痂皮が発生しなかったと報告した。 しかし彼らは血流をたもつために喫煙患者では皮膚弁の剥離を2~3cmにとどめており、充分なシワ取りができたかどうか疑問である。
【顔のシワと喫煙】
日焼けは顔のシワの大きな要因である。それでは喫煙は顔のシワにどれほど影響を与えるのか。 Daniellの行った大規模な疫学調査では、喫煙と顔のシワに強い関連が見いだされた。 1100名を対象としたこの調査では顔のシワを6段階にわけて評価しているが、日光への曝露に関する調整は行われていない。 シワは非喫煙者より喫煙者に多く、1日1箱以上の喫煙を15年以上続けている30才以上の者ほどこの傾向が著明だった。 Kadunceらが行った疫学調査でも喫煙がシワをふやす独立の危険因子であると再確認された。 すなわち喫煙者は非喫煙者の4倍シワが多く、日光曝露の多い喫煙者のリスクは12倍だった。この調査ではDaniell の調査と違い日光への曝露に関する調整がなされている。 タバコ煙はコラーゲン構造の変化あるいは皮膚の微小循環障害をもたらして顔のシワをふやすと考えられる。
【腹壁形成術と喫煙】
これまで腹壁形成術に対する喫煙の影響を検討した臨床的研究はない。しかし経験上腹壁形成術の傷とシワ取り術の皮弁の傷は似ている。 大きな皮弁の下を剥離した場合、皮弁の末梢への血流は皮膚-皮下血管叢を通じて供給されるから、同じように痂皮化する可能性がある。 明確な他の危険因子がないのに大きな皮弁が壊死に陥った2例の腹壁形成術患者に関する報告がある。いずれの患者も1日3~4箱のヘビースモーカーである。 またジョンズ・ホプキンス病院では、妊娠後腹壁弛緩症に対する待機的腹壁形成術を受けた1日1箱半喫煙する健康な25才の黒人女性が、明かな手術上の 問題がないにもかかわらずきわめて大きな皮弁壊死をおこしたことがある。この傷は再手術後治るまでに6カ月以上かかった。 全体として腹壁形成術時の皮弁壊死は7%におこるという。しかし喫煙習慣別の頻度は報告されていない。 腹壁形成術の皮弁は顔のシワ取り術の皮弁より厚いため、血流障害がおきにくいのであろう[34]。
【乳房再建術と喫煙】
非定型乳ガン根治手術患者では喫煙が創部の合併症を有意に増やす危険因子である(Vintonら)。 皮膚水疱症を起こす乳房切除患者は喫煙者に有意に多かった(非喫煙者14%、喫煙者49%:p<0.01)。 さらに乳房切除に引き続いてすぐに乳房再建術を行った場合も、喫煙が創部の合併症を有意に増やす危険因子となっていた(Baileyら)。 すなわち乳房再建術を受けた165例中53%に合併症が起き、18%がインプラント脱失を起こした。 インプラント脱失を来す三大危険因子は術前術後の喫煙、筋肉被覆不十分および高齢だった。インプラント脱失率は非喫煙者(14%)よりも喫煙者(33%)で有意に高かった(P<0.02)。 インプラント脱失には創部感染と皮膚欠損が合併していることが多かった。手術前に禁煙した患者のインプラント脱失率は10%だった。 また喫煙者でしかも筋肉被覆不十分あるいは65才以上の者はさらにインプラント脱失率が高くなっていた(それぞれ45%、36%)。 横紡錘形皮切(訳注:有茎筋皮弁移植のひとつ。上腹壁動静脈とそれが含まれる腹直筋を茎とする。略称TRAM皮弁) による乳房再建術を受けた患者で喫煙が 創傷治癒に与える障害を検討した報告がいくつかある。 単茎性TRAM皮弁は喫煙の悪影響を受けやすかった。この皮弁は上腹壁に比較的細い茎でつながっており、2~3組の連絡血管から血流を受けている。 Bostwickは乳房切除術皮弁とともにTRAM皮弁の合併症と能動および受動喫煙の関連について検討した。 その結果、1年間40箱以上の喫煙者では、単茎性TRAM皮弁を用いた乳房再建術を受けた場合、術後にゾーン1を越える脂肪壊死を起こす危険が大きいと述べている。 1987年 HartranpfとBennetは自家TRAM皮弁による乳房再建術を受けた乳房切除術患者300例について報告した。24%は喫煙者だった。 創面清掃の必要な皮弁壊死は6.3%に発生した。喫煙と完全皮弁壊死の関連はなかったが、皮弁以外の皮膚壊死と喫煙は有意に関連していた。 皮弁以外の皮膚壊死を生じた9例はすべて喫煙者だった。喫煙者全体の皮弁壊死率は6.8%、皮膚壊死率は12.3%だった。最も多い発生場所は、 皮弁を起こした下腹部(6例)、ついで皮弁を移植した胸部(4例)だった。非喫煙者全体の皮弁壊死率は6.2%、皮膚壊死率は0%だった。 最近Hartrampfに問い合わせたところ、彼の経験したTRAM皮弁約700例において、喫煙者が創傷治癒障害、皮膚壊死、皮弁壊死を起こす確率は非喫煙者の少なくとも2倍であるという。 彼は、定型的TRAM皮弁による治療を受けた患者にとって最大の皮弁壊死の危険因子は喫煙であると述べている。 Hartrampf は、能動喫煙をTRAM皮弁による乳房再建術の絶対的禁忌と規定している。彼は尿中ニコチンと血清COHGBを術前一般検査に加えている。 喫煙歴のある患者には、双茎あるいは「スーパーチャージ(血流を特別に多くした)」TRAM皮弁を用いた手術を行うことにしている。 彼は喫煙患者では乳頭形成術は成功しないとも述べている。 実験的あるいは試験的な微小血管利用遊離組織移植術の成功率が高いことから、タバコ煙曝露のある症例の乳房再建を遊離TRAM皮弁を用いて行う機運が高まっている。 NahaiとBunckeは、能動喫煙および受動喫煙のある患者には遊離TRAM皮弁を用いて治療していると述べている。 Arnezら は、喫煙者に対して遊離TRAM皮弁を用いて乳房再建を行うと、皮弁壊死や血管柄に関連する合併症が比較的少ないと述べた。 皮弁壊死や血管柄関連血流障害の発生率は喫煙者で10%、非喫煙者で13.3%だった。
【遊離組織移植と喫煙】
遊離組織移植術に対する喫煙の影響を検討した報告は非常に少ない。 Nahaiは、遊離組織片移植成績に喫煙が悪影響を及ぼすことはなく、創面の治癒状態に違いが見られなかったと述べている。 1991年に Arnezらは、遊離TRAM皮弁を用いた乳房再建術50例について報告を行った。40%は喫煙者だった。 皮弁壊死あるいは血栓による血管閉塞の頻度は喫煙者と非喫煙者で差がなかった(2/20=10%対4/30=7.5%)。 最近Reusらは、レトロスペクティブな臨床調査で、吻合血管の開存率と移植皮弁の生着率に喫煙者と非喫煙者間の差がなかったと述べている。 しかし移植皮弁と移植創面あるいは皮弁を覆う移植皮膚との接着面の合併症は喫煙者に明らかに多く発生していた。この調査では162例の遊離組織片移植が対象となった。 3分の1は喫煙者だった。血管開存率と移植片生着率は喫煙者で95%、非喫煙者で94%だった。 移植部位の創傷治癒遅延は喫煙者の35%にみられ、非喫煙者の24%を上回っていた。 喫煙者で創傷治癒のために追加治療を必要とした者は、非喫煙者の12%を大きく上回る27%だった。 Bunkeらは963例の遊離組織片移植について検討を行った。非喫煙者は751名(78%)、喫煙者は212名(22%)だった。 非喫煙者群と喫煙者群の間に血管開存および皮弁生着率の差はなかった(93.1%対94.3%)。 血行不全と静脈うっ血の両方あるいはどちらか一方のための再手術率にも成功率にも差はなかった。 再手術率と成功率は非喫煙者で13.4%と70.3%、喫煙者で11.6%と64%だった。 治癒まで4週以上あるいは追加治療を必要とした場合を治癒遅延と定義すると、喫煙者群に有意に治癒遅延症例が多かった(喫煙者37.7%対非喫煙者30%:p<0.043)。 とくに、喫煙群では皮弁を起こした部位のトラブルが有意に多かった(喫煙者17.5%対非喫煙者10%)。しかし皮弁移植部位のトラブルの差はなかった(喫煙者29%対非喫煙者23.7%)。
【指再接着と喫煙】
指の顕微手術を行う外科医は、喫煙が指再接着手術の成績を悪くすると感じている。 Bruceらは、皮膚温度計を用いて喫煙により手の血管の収縮が起こることを証明した。 Lampsonは1本の喫煙後末梢血流が50%低下し、この低下が60分続くと報告した。 Frankeらはプレチスモグラフを用いて、タバコ煙に曝露された21名の医学生の指、耳、額の血流が減少することを示した。 Rothらは、喫煙により四肢の皮膚温が著しく下がることを報告した。50名の健常男子に急速喫煙をさせた実験では手の血流が明らかに持続的に低下した。 条件を整えたある臨床実験によれば、1本だけの喫煙により平均血流速度が42%低下したが、非喫煙者の流速は不変だった。 この変化は1時間続いた。Moselyらは、指血流の低下とともに指の実験的創傷の治癒遅延が発生することを報告した。 再接着された指の血流が手術直後(4日目および8日目)の喫煙のあと低下した2症例について検討した報告がある。 それによると減少した指血流は星状神経節ブロックあるいは血管拡張剤投与により改善したという。 これは指血流の低下が吻合不全によるのではなく血管収縮が原因であることを示している。 拇指の血行再建術後5日目に1本の喫煙を行った患者二人が最終的に再接着した指の一部あるいはすべてを失ったという報告もある。 Saumetらは、24名の健常ボランティアの指の脈圧と温度が1本の喫煙後有意に低下したことを見いだした。 喫煙による微小血管血流量の変化をビデオ顕微鏡で観察した実験もある。 Richardsonは爪床微小血管よりも指動脈で血流がいちじるしく低下していたと報告している。 彼は偽タバコ、レタス葉タバコ、トウモロコシのヒゲで作ったタバコ、本物のタバコを用いた実験で、ニコチンの吸入量に比例して微小血管血流が低下するとの結論を出した。 van Adrichemらは、喫煙が拇指の皮膚微小循環にどのような急性影響を与えるかを検討した。 32名の健常ボランティアで皮膚微小血管血流量の持続モニターを行った。 レーザードップラー流量計による平均指血流量は1、2本目の喫煙後有意に低下した(それぞれ-23.8%、-29.0%)。 10分後微小血管血流量は前値の50%まで回復した。 van Adrichemらは、健常指と再接着指の微小循環血流量が喫煙によりどのような影響を受けるかについて、条件を整えた前向き臨床調査を行った。 この調査は指の血行再建、再接着術を受けた31例を対象とした。対象の半数は喫煙者。 2本喫煙後の指血流量をレーザードップラー流量計で測定したところ、喫煙者の指血流は明らかに低下していた。 この血行動態の変化は術後経過期間が短いほど著明だった。さらに喫煙終了後も再接着指の血流低下は続いた。喫煙が指再接着術成績を悪くするという考え方もある。 G.Bunckeは手術前2カ月の時点で喫煙していた者のおよそ80~90%は最終的に再接着された指を失うと述べている。 彼は喫煙は指再接着術の絶対禁忌とは考えないが、術後禁煙することは絶対に必要だと指摘している。
【喫煙による手術創治癒阻害メカニズムの実験的検討】
Nolanらは条件を整えた実験研究で、術前術後にタバコ煙に曝露されたラットではランダム皮弁の生着率が低下することを明らかにした。 この実験系は通常の人間喫煙者の2~3倍のCOHGB濃度となるタバコ煙吸入システムを用いている。 別の条件を整えた研究でもラットのランダム皮弁の生着率が術後のタバコ煙曝露により低下していた。 この実験では、タバコ煙曝露ボックスに入れられたラットのCOHGB濃度を人間の喫煙者と同じレベルに保ち実際の喫煙者と同じ環境を実現していた。 さらに別の研究では、タバコ煙に曝露されたハムスターのアキシアル皮弁生着率が低下していた。タバコ煙非曝露群で皮弁壊死は発生しなかった。 術前にタバコ煙に曝露された動物では皮弁より末梢部の壊死が20%増加した。術前術後ともタバコ煙に曝露された場合皮弁壊死が60%増加した。 このように喫煙が創傷治癒と皮弁生着におよぼす悪影響は重ねて確認されている。 またこの研究成績は、ヘビースモーカーであっても術前に禁煙するならば皮弁生着率が改善する可能性があることを示している。 Kaufmanらはタバコ煙曝露によるランダム皮弁の生着率低下を検討する実験を行った。その結果術前と術後にタバコ煙にさらされた群で最も皮弁壊死率が高かった。 術前7日間だけタバコ煙にさらされた群の皮弁壊死率は術後曝露群よりも高かった。手術直前にタバコ煙曝露を停止しても生着率の大幅な改善は見られなかった。 術前術後のタバコ煙曝露が皮弁壊死率を大きく増やすことを示した動物実験(ラット)がもうひとつある。 この実験では術前にタバコ煙曝露を停止すると、頭蓋起源背部皮弁の壊死率は低下した。曝露停止期間が長いほど皮弁の生着率が改善した。 術前7~14日間のタバコ煙曝露停止により皮弁生着は有意に向上した。Reusらは、マウスの耳介皮膚の微小循環に対するタバコ煙曝露の急性影響を検討した。 タバコ煙曝露により細動脈は収縮し血流は12%低下した。 これらの研究では、創傷治癒に対するタバコ煙の影響を調べるためにタバコ煙曝露ボックスを用いている。 この方式は動物をタバコ煙のすべての成分に曝露させることになるから、タバコ煙のどの成分が皮膚弁の壊死をもたらすカギとなるかはわからない。 また煙ボックスに入れられた動物は酸素不足となるため、これによっても創傷治癒が妨害されるおそれがある。 皮弁の生着率とランダム皮弁血流量がニコチンで低下することを証明する初めての条件を整えて行われた実験では、ニコチンは術前術後に皮下投与された。 Forrestは後にこれを追試し、ニコチン投与だけでランダム皮弁の血流低下と壊死が発生することを確認した。 この実験では2mg/kgのニコチンを1日2回、手術の2または4週間前から術後1週間目まで皮下投与した。 その結果術前2週間投与群では低下しなかったランダム皮弁の生着率は、術前4週間投与群で有意に低下した。 またランダム皮弁の辺縁の微小血管血流も有意に低下していた。 この実験でも従来の実験と同じ高用量のニコチンが投与されたため、実験動物の血中ニコチン濃度は人間のヘビースモーカーの2~3倍に達していた。 さらに最近 Forrestらは低用量ニコチンの長期投与が皮弁の血流と生着に与える影響を検討するために条件を整えた実験を再び実施した。 低用量(0.6mg/kg)のニコチンを1日2回24週間皮下投与し、人間の喫煙者と同じレベルの血中ニコチン濃度(8.1+/-0.4mcg/ml)を実験動物に実現した。 ニコチン投与群のランダム皮弁生着率と皮弁皮膚微小血管血流量は、生理食塩水投与群よりも有意に低下した。 これらの有害作用は、ニコチン投与を皮弁手術の2週間前に中止すると消失した。 また低濃度のニコチンを長期間投与しても、急性ランダム皮弁と手術部位でない正常の皮膚組織の皮膚微小血管の微細構造に変化はみられなかった。 微小血管の透過性の亢進を示す基底膜変化や浮腫も見られなかった。 Yaffeら は、微小血管の吻合循環がタバコ煙に曝露されても保たれることをはじめて実験的に示した。 この実験では、ラットを大腿動脈吻合術の前後にタバコ煙に曝露させた。 タバコ煙にさらされた動物の体内のニコチンおよびコチニン濃度は大きく増加していたが、吻合循環はまったくおかされなかった。 Leeらも、 ニコチンに曝露されたラットの微小循環遊離組織移植において、吻合循環が障害を受けなかったことを報告している。 この実験では、ニコチンをラットの腹腔内に投与したうえで、上腹部動脈と大腿動脈の吻合手術を行っている。血流量はニコチン曝露によって78%低下している。
【創傷治癒と喫煙】
タバコ煙あるいはニコチンが創傷治癒の病理過程にどのような影響を及ぼすかを条件を整えて検討した研究は少ない。 RichertとForbesは、タバコ煙がコラーゲンの老化を促進することを実験的に明らかにしている。 仔牛の皮膚をタバコ煙に曝露させると、通常の老化過程で見られるコラーゲンの変性すなわちコラーゲンの可溶性低下、リジン残留物の消失が生じた。 喫煙者にシワが早く発生するのはこのためだろう。Moselyらは、ウサギの耳を用いた実験で、受傷6~10日目に始まる創傷収縮をニコチンが阻害することを見いだした。 タバコ煙は、炎症、上皮再生、血流に悪影響をおよぼして創傷治癒を妨害するとされていた。 さらに最近、カテコールアミンが上皮形成を阻害するという知見もある。カテコールアミンは上皮再生を抑制する創傷ホルモンのケイロンを産生する際の共同因子である。 皮膚の創傷の治癒に関して喫煙者と非喫煙者のあいだで違いがあるかどうかを検討した臨床研究がある。 腹腔鏡による待機的不妊手術を受けた患者120例について、切開法、縫合糸の種類、縫合方法を標準化して検討した。 その結果、喫煙者の手術創は非喫煙者に比べて大きく、あせた色をしていた。 GoldminzとBennetによれば、皮弁あるいは全層皮膚移植を受けた喫煙者では、組織壊死率が有意に高かった。 この研究の対象は頭頚部のさまざまなタイプの皮弁あるいは全層皮膚移植術を受けた220例である。 1日1箱以上のヘビースモーカーは、それ以下の喫煙者、禁煙者あるいは非喫煙者と比較して組織壊死率が3倍高かった。 1日1箱未満の喫煙者、禁煙者、非喫煙者の間に有意差はみられなかった。組織壊死のリスクと喫煙量との間には量反応関係が見られた。 すなわち1日1~2箱の喫煙者では2.1倍、2箱以上で6.0倍だった。
【考察】
これまでに紹介した大規模な臨床研究では、タバコ煙が遊離組織片移植の微小循環吻合に明かな悪影響をもたらさないという意外な成績が出ている。 現在のところ、タバコ煙が悪影響をもたらしやすい形成外科分野は、皮弁を用いる顔面シワ取り術、腹壁形成術、乳房再建術などとされている。 組織血流は部位によって異なる。それは血流量の調節機構が部位によって違うためである。血管の豊富な脳、心臓、肝臓、腎臓などは血管抵抗が少ないため血流が多い。 それに対して骨格筋、皮膚、骨、軟骨、脂肪組織は、血管抵抗が比較的大きいため血流が少ない。 組織血流は中枢交感神経のコントロールと局所の自動コントロールの両方を受けている 皮膚組織床は交感神経支配を最も密に受けており、血流はアルファ受容体の活性化により調節される。自動調節はほとんど働いていない。 このような皮弁の血管はタバコ煙中のニコチンに反応して非常に収縮しやすくなっている。 遊離組織移植がタバコ煙の悪影響を受けにくい理由は、血流調節機構が骨格筋と皮膚とでは異なるためであるとみられる。 骨格筋組織床は皮膚よりも交感神経支配が少なく、局所の自動調節がおもに働く。遊離筋移植を含む筋肉皮弁がタバコ煙の影響を受けにくいのはこのような理由によるものと考えられる。 全身いずれかの部位の微小血管遊離組織移植よりも指の再接着術の成績がタバコ煙の吸入に悪影響を受けやすい理由は不明である。 前に述べたように、皮膚血流はおもに交感神経のコントロールを受けている。四肢の皮膚血管床は、他の部位よりも血管運動神経の支配を強く受けている。 指の血管床には(ニコチンによって収縮しやすい:訳者加)動静脈吻合や皮膚糸球が豊富にあるため、指血流はタバコ煙のニコチンにより悪影響を受けやすいのかもしれない。 タバコ煙のもつ血管収縮作用に対する反応性が異なるため、指や他の皮膚組織の血管抵抗は骨格筋組織床よりも大きくなる。 指の微小血管吻合よりも遊離筋皮弁の方が微小血管血流量が多いのは、ひとつにはこのメカニズムによるのだろう。 紙巻きタバコ喫煙がわれわれのヘルスケアシステムと社会全体に地球規模の悪影響を与えているにもかかわらず、タバコがまだ経済市場に存在していることは皮肉である。 他の医学分野と同様に、形成外科および再建外科領域においても喫煙の悪影響は広く存在している。 Hartrampfは「喫煙は現在地球上で健康に対する最大の脅威となっている」と述べている。 全国調査によれば米国の成人の26.5%が喫煙者であり、彼らの大半は10代で喫煙を始めている。 米国の紙巻きタバコ消費量は減りつつあるが、年間32万人が喫煙関連疾患で死亡していると推定される。 うち13万9千人は喫煙関連ガンで、全ガン死の32%を占める。また12万3千人が心臓病で、5万2千人がそれら以外の病気である。 米国においては、喫煙の社会経済的被害も甚大である。1983年の健康調査では、毎年5000万人の喫煙者が6000億本のタバコを消費している。 タバコ製品の年間売上高は307億ドルである。1989年にタバコの宣伝と販売促進に使われた費用は36億ドルである。 その一方、喫煙によるヘルスケアコストは120~350億ドル、喫煙による生産損失は270~610億ドルと推定される。 米国の医療費は患者、家族、保険会社および政府の医療プログラムが負担している。 驚くことに、喫煙のもたらすヘルスケアコストの大半は非喫煙者が負担している。喫煙関連疾患により毎年530万人・年の命が失われている。 1日2箱吸う25才男性は、平均8.3年寿命が縮む。喫煙者の4分の1はタバコによって早死にする。 「米国では、喫煙する若者100人のうち、1人は殺人事件で殺され、2人は交通事故で殺され、25人はタバコによって殺される」。 (訳注:これは1987年と1990年に発表された報告書の記述である。最近の研究では喫煙者の約50%はタバコによって殺されると推定されている)
【結論】
形成外科および再建外科領域における喫煙の有害影響は、皮弁の生着率の低下に最も著明にあらわれる。 これは動物実験および臨床研究の両方で明らかにされた。喫煙は指再接着に大きな悪影響を及ぼすが、遊離組織移植(おもに筋肉)の成功率には悪影響を及ぼさない。 しかし皮弁を起こした部位と受け取る部位の創傷治癒は喫煙によって阻害される危険がある。この違いは、皮膚床と筋肉床の血流制御機構が異なることによると考えられる。 さまざまな手術治療の準備にあたっては、喫煙の広範囲な悪影響をよく考慮する必要がある。そのための要点を以下に示す。
1.患者の喫煙習慣を確かめること(現在喫煙か禁煙中か)
2.術前および術後の喫煙に関するルール(最低でも術前術後3週間は禁煙)をしっかり認識させること
3.受動喫煙の有無を確かめ、前記2のルールを徹底させること
4.ニコチンガムとニコチンパッチの使用がさまざまな外科的手技に及ぼす影響を検討すること
5.どうしても禁煙できない場合、タバコの悪影響を最小限にするための薬物治療、たとえば血管拡張薬投与が可能かどうかを検討すること